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昔のクライミング用具と思い出

先日、プレハブ倉庫を片付けていたら、こんな物が出てきた。
1970年代のものである。

写真左はグリップフィフィ。その下は通常のフィフィ。
このグリップフィフィはICI石井スポーツのオリジナルで、グリップ部分に対して
爪の部分が90度横に出ており、手が岩に擦れたりしないというのが歌い文句であった。

人工登攀全盛期の頃には、いかに早く楽にアブミを回収するかが、言わば腕の
見せどころでもあり、長いルートを登るときほどそれは切実な問題でもあった。

アブミにはカラビナを付けて使用するのが一般的であるが、カラビナの代わりに
このグリップフィフィを付けると、回収用の補助紐も付けることにより、一方の
アブミに移ると自動的にはずれる(回収できる)ようになっていた。

しかし、使い慣れないとフィフィがはずれそうで怖いのと、補助紐の処理が
わずらわしかったりして、積極的に使っていた人は少なかったようだ。
私も、数回使っただけであった。

また、あと少しで次のピンに届くのに、どう背伸びしても届かない、
というような時に、このグリップフィフィを使うと届いてしまうこともある。
だから、ちょんぼフィフィだということで、使用を嫌う人もいた。
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写真中央はファモウである。懸垂下降専用で確保用としては使えないので、
エイト環普及とともに姿を消した。

写真のものは山洋スポーツ製である。谷川岳一の倉沢衝立岩初登の南博人さんが
渋谷で経営していた店の品だ。南さんにあこがれて買ったわけではなく、
安かったからである。カラビナも山洋スポーツ製はカシンやボナッティの外国製
に比べて半分近い値段で買えた。貧乏クライマーにはありがたい店であった。
(今はもうこの店は無いようです。)

写真右はエイト環を四角に変形させた、下降器である。
当時、ICI石井スポーツのスタッフであった森田勝さんがデザインした
いわゆる森田モデルである。確保用としても使えなくはなかったが、
私はもっぱら懸垂下降用として使っていた。
森田モデルといえば、全身用のハーネス(当時は、ゼルブストバンド、
通称ゼルバンと称した)にも森田モデルがあった。
私はこれらを結構長い間使用していたものだ。

新大久保にあったICI石井スポーツにはよく行った。買物というより、あれこれ
山道具を眺めて、知り合いの他会の人と話をしたり、ということが多かった。
何故か森田さんに出会った記憶は無い。どんぐり山の会や東京岳人倶楽部
の人たちとよく話しをした記憶はあるのだが。

森田勝さんは1980年2月24日にグランドジョラス北壁で遭難死した。
何故その日をよく記憶しているかというと、当時、私はアラスカ遠征登山を
ひかえ、毎週のように冬の一の倉沢と鷹取山を交互に訪れていた。
そして、その日(2月24日)、私は追浜の鷹取山でそれこそ森田モデルに
身を包んで登攀訓練をしていたからである。
遭難死は後にニュースで知ったが、その日付は強く記憶に残った。

そうそう、今これを書きながら、鷹取山で思い出したことがある。
それはACC-J(アルパインクライミングクラブ オブ ジャパン)
という山岳会のことである。
(これについてはまた次に書きます。)
by kmyas | 2010-05-20 21:41 | 山の用具
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